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  About myself

I was born in 1950 at the end of the baby boom era. In my childhood, I made a miniature house out of used chopsticks. I was very interested in design and art, so in high school I joined the fine arts club.

My father and mother ran a fresh fish shop and catering business, so I decided to learn cooking after high school.

My first job was as a cook on The Brazil, a luxury liner. I worked there for two years. During this time, I visited several different countries observing their buildings, statues and other pieces of fine art.

Although it is written in Japanese, the article below which was published in a local magazine in 2007, quite fairly tells the reader about me.
 

  "KIRAKU magazine article"  (Issue Nov/Dec 2007)

「はっ」と感動する家具を作り続けたい。 それが永く使われたら最高ですね。
〜風、〜的というのはきらい。民芸調とは何なのか。 きっぱりと「木工職人とは書かないで」と言い切る。がっしりした体格に口ひげ、 後ろで束ねた髪の風貌は一見、野武士然として見えるものの、どこか柔和な物腰に、ものづくりに情熱を傾ける一徹さと人間臭さを感じる。 山里の小さな工房で木工家具作りに励む米田正雄さん。 自分流を貫き通しながらも、心憎いまでに使う側の気持ちに配慮した数々の家具は、 国内外にファンを広めている。

真似は面白くない

「自分が欲しいと思うものが、お客さんにも受け入れてもらえる」。世間のニーズが分らずに悩んでいたころ、一つの結論に達した。 だから、「人のまねは面白くない」という。あくまでもオリジナルの家具を追求して、素材の仕入れからデザイン、制作、塗りの仕上げまで 全ての段階に精力を注ぎ込む。
そこには妥協という姿勢は微塵もない。「とにかく納得するまで形を追い求めます」。原木との対話から始まる 一種の格闘を、むしろ喜びに結びつけてしまうバイタリティは、20代から30代の8年間をアメリカで暮らし、日本料理屋の 板前から出発して自分の寿司店をもつまでになったことと無関係ではないだろう。

その時の自分です

素材は主にケヤキ。材木市で仕入れた木と向き合うたびに、「木が育ってきた土地の気候風土や場所が気になります。 家具になっても呼吸しますから、家のどこで使われるのかまで考えるのです」。だから国産材を使うのが一番 だが、大きさや価格から輸入材を使うケースもあるという。
「家具には、その時の自分が投影される。人間だから気持ちが入っている場合もあれば、逆に落ち込んでいる事もある。気持ちを切り替える手段は、大型バイク でのツーリングです」。そして工房の扉には、『人生は今の積み重ね。出来ない言い訳を探すな。出来る努力を 尽くせ。原点に戻ったら迷いがとれる。』と書く。

山暮らしが転機に

調理師学校を出た後、商船の調理師として海外航路に1年間乗った。しかし小さい頃にテレビ で見たアメリカへのあこがれは捨てきれず、24歳で単身渡米。日系人が経営するコロラドやカリフォルニアの 和食レストランで働いた。サンフランシスコでは自分の寿司店を持つまでに。
だが、32歳で帰国して生活のために就職した会社が家具製作の道に進むきっかけとなる。社長と口説き落とし、 その社長所有する柳生の山に2年かけて自分の山小屋を建てて住んだ。何の経験も手立てもない中で山小屋を完成 させた事が、自信につながる。職業訓練校に1年間通って腕を磨いた。

9年前に工房移転

40歳で独立。9年前に奈良市に隣接する京都府木津川町(現木津川市)の山里に工房を 移した。栗畑と竹薮に囲まれた工房は当初は静かな佇まいだったが、最近はニュータウンの造成が一層激しく なって騒々しさが増した。20坪程度の工房には制作を待つ素材の樹木が積み上げられ、仕上げの日を待っている。
工房の扉にまたひとつチョーク書きされた言葉を見つけた。『品高く初心でうるわしく。清らかな文物に 出あうと、その余韻がいつまでも心に残り、魂が太り、それが創造の元になる。そのような物が本物である』。 伯父6人が全員大工という影響もあって、この道に進んだのは「血筋かも」と思う毎日だ。

注文生産が主流に

年間に制作する家具のほとんどは注文。依頼者の自宅や家具を置く場所、部屋の大きさや主に使う人などの 条件を教えてもらう。お客さんの大半は50代以上。「どういうわけか、夫婦仲のいい家庭から注文が多いんですよ」 と笑う。今年も椅子やテーブルなどの注文が舞い込んで、納期に間に合わないくらいの忙しさだ。
「2年前は、9ヶ月まったく仕事がなかった。時間があるので普段考えているものを作ればいいじゃないかと思うんですが そうはいかない。デザインも含めてできなかった」。ものづくりに共通するウィークポイントなのかもしれないが、 奥さんが精神的な支えになっている。

作品展で一期一会

年間4、5回はギャラリーや百貨店で作品展を開く。最近は値札から作品を見るお客さんは少なくなったと笑う。 「うれしいのは、漆を何回塗ってるんですかとか、作品の素材や技法で突っ込んで聞いてこられる。作品展は 作品を介した作り手とお客さんの一期一会の場所だと考えています」。どこまでも謙虚だ。

始めての作品でもあった座敷机が売れた時の感動は今も鮮やかに残る。値段は材料費に工賃などをプラスして 決める。「高いものがいいとは限らない。だからいいものはずっと使い続けても飽きない。むしろ使い続ける ほど味のある家具になっていきます」。作り手の温もりが家具にしみ込んでいる。

米田 正雄 (よねだ まさお)

昭和25年12月奈良生まれ。 高校のあと調理師学校に進んで商船会社に就職。 昭和49年8年間、アメリカで暮らす。ネブラスカ州出身の奥さんと昭和60年に結婚。長男と3人暮らし。 自宅は生駒市。

工房

木工ザ・ワークマンズ・ハンズ 〒619-0212 木津川市梅谷上ノ平54

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